物事の本質を捉えるということ
グラフィックデザインにおいて、教養など一見無関係に思うかもしれません。しかしながらグラフィックデザインはアートではないので、何か意図とか意味とか目的とかがあります。例えば会社案内の制作ならその会社がどういう会社であり、どういう人がいて、どういう風に営業をしていて、どんな会社案内が彼らにとって良いのかという謎を解くには、商品やサービスはもちろんのこと、そのビジネスの本質を正しく理解するということがどうしても必要であり、デザインを考え始めるスタートとなります。どんなコンセプトやデザイン表現もそういった本質から端を発していなければただの「見た目作り」となってしまい、結果としてデザインの伝達力が落ちてしまう。まぁそれでも普通に作れればそうそう変なものにはならないとは思いますが、人によっては好き、人によっては好きじゃないみたいな、ただの好みによるデザイン選択に陥りがちです。
ただ、それをあらゆる案件に当てはめるのはそんなに簡単ではありません。実際には会社案内だけでなく、チラシやDMを始めとして様々な営業ツール・販促ツールもあれば、Webサイトで言ってもランディングページやコーポレートサイト、メディアサイト、ECサイトなど色々なものがあるし、クライアントも世の中にはそれこそ数多いて一つとして同じ会社はなく、デザインを生み出すためには一つ一つ理解していくしかない。その時に本当にまっさらな状態ではなく、ある程度共通知識みたいなものがあればその手間はだいぶ省け、オリエンを受けるにせよ、ヒアリングするにせよ、スムーズに進むようになる。そのために必要なものが実は「教養」なんじゃないか、というわけです。そして、先ほどデザインに入る前には正確な理解が必要と言いましたが、その意味でも教養があれば事実に対して誤解を生むようなこともかなり減らすことができるように思います。
教養を身につけることと本物に触れるということ
ではどうしたら教養が身につくのか。それは正直なところ日々の積み重ね以外にはありえず、その意味では僕自身大学受験の受験勉強をもっとしっかりやっていればもう少し楽になったんじゃないかと思っていますが(特に理系分野ですね)、それはともかく知らないことに出会ったら、都度都度調べる、理解するということを習慣にして積み重ねるしかありません。知らないことに出会うと言っても毎日のように出会うと思いますが、幸い今はスマートフォンがあり、インターネットがあるため、調べるということのハードルはものすごく低い状態にあるのだからそんなに難しいことじゃなく、ただその時に調べるのではなく自分の理解として腹落ち感のあるところまで消化するのが大事です。細かな専門用語とかはどうせまた忘れてしまうでしょうが、そういう概念のもの、仕組みのものがこういうところに存在すると理解することが、また別のものを理解する時に役立ちます。そうやってアメーバ(?)というかシナプスというか、みたいな形で知識と理解が広がっていくと、いざお客さんの話を聞く時にも自分で様々なものと関連づけて深く理解できるというわけです。
それともう一つ、「本物に触れる」ということ。これはあらゆるものに、というのもなかなか難しいと思いますが、意識してやらないと絶対できないものでもあります。味の違い、音の違い、表現の違い、そういったおよそ五感に関わる部分は特にそうで、どんなものにも本物への理解を原点にしていれば、あらゆるものをそこからの違いで理解できるようになる、という話です。大元がこうあるということを知っていて、今目の前にあるものはそこからどの辺りにあるものなのか、本流なのか亜流なのか、亜流のそのまた亜流なのか、ただ見た目だけ真似したのかなんなのか、そういうことなんですが、これも「知識」ですり替えがちで、表層的に知っている知っていないの問題ではなく、あくまで自分としてきちんと理解する、あるいは解釈をするということ。そこがグラフィックデザインをするにしろ、他の何かをするにしろ、分かれ道となっていくように思うのです。
最後にちょっと蛇足。あくまでこの教養とか理解とかはスタート地点に過ぎません。そこから本質に基づいて考えていくことが大事ですよ、というだけの話であって、知識をひけらかすとかは違うと思うのです。どうもね、この辺もわかる人には言わなくてもわかるし、わからない人には言ってもわからない。色々と難しいものです、本当に。