そうだ、ラフを描こう!

いきなりイラレでデザインしていませんか?

 
今回はグラフィックデザイナー初心者だった頃の僕自身にも当てはまる話です。グラフィックデザイナーという職業はMachintoshが普及するに連れて人数が増えたと言われており、それと同時に本や雑誌のデザインをするエディトリアルデザイナーとの垣根が曖昧になったり、DTPデザイナーという本来の意味からすると謎のデザイナーも出てきたり(ちなみに「DTPオペレーター」は歴とした職業です)、もっと最近ではwebデザイナーとも一緒くたにされがちで、総じてまぁ何と言うかMachintoshでIllustratorとPhotoshopが触れれば誰でもグラフィックデザイナーっぽく見えるようになってきました。こう言うとこういった世を儚んでいるようにも見えますが、大学の経済学部を出て医療機器営業を経てからグラフィックデザイナーになった僕としても、そういった時代の流れがなかったらとてもそうはなれなかったはずなので、ありがたいはありがたく思っています。

 
それできちんとしたデザイン的な教育を何も受けずに、某社会人スクールでMachintoshとIllustratorとPhotoshopの操作だけ何となく身に付けて一人前面していた僕もそうだったのですが、お客さんないしは営業の人から案件の説明を聞いてからデザインする際にいきなりイラレの上で要素を並べたりしていたものです。わざわざ一旦紙の上で考えるなんて、正直効率も悪いし、自分の頭でまとめられない人だけがやるものと思っていましたが、デザイン経験が積まれていくに連れてどうもそうじゃない気がしてきたのが3社目、キャリアにして4〜5年目くらいのことでした。いきなりイラレでデザインするというやり方だと、たとえ何案作ったとしてもせいぜい要素を綺麗に並べる、そのくらいまでしか行けないように思えたのです。というのも、ベテランのデザイナーが作ったデザインは、そんなレイアウトの美しさなど意味がないと言わんばかりに見た目でビンビンに伝わってくるデザインばかりを生み出しており、どうやったらそういう風なデザインが出来るかはわからなかったのです。

 

考えることとデザインすることを切り分ける

 
世間一般にはデザインはすべからく生まれながらのセンスによりなされていると思われている感が強いのですが、実際にはセンスは一部分だけだったりします(しかもセンスはセンスの良いものを見ることで伸ばすことができます)。それよりも、お客さんのことや案件のこと、ビジネス上の課題にきちんと向き合い、考えに考えを重ねることで、ようやく見せ方のコンセプトを生み出し、さらにそのコンセプトを表現しうるデザインを考えるという工程が大事で、つまり、イラレでいきなりデザインするということは、これらの工程が全てなされないままデザインしているということになるわけです。これでは見た目だけ整えたデザインになるのも当たり前で、だからその前にラフという形で「これらの考える部分」を予め詰めておくことができれば、イラレでデザインする際にはデザインのみ行えば良い、ということになるのではないでしょうか?慣れてくると文字サイズや写真の配置までレイアウト的なものも全て含めてラフスケッチ上で考えられるようになるので、イラレで操作する時には迷いなく、ほとんど時間もかからなくなります。

 
これはデザイナーとして一人前になるためには必須の要素と言ってよいでしょう。お客さんとの打ち合わせという限られた時間の中で、課題を見つけ、デザイン的な発想を出し、レイアウトを詰めるところまで行くには頭の中でかなり正確にラフが描けないと難しいし、また、自分一人で全てのことを行っているならともかく、実際には他のデザイナーやオペレーター、場合によってはライターやイラストレーター、あるいはカメラマンの人とも一緒に進めないと出来ないような仕事をする時にはデザイナーが核になる場合がほとんどだからです。逆に言うと、そういうレベルでデザインを見ることができるようになった時、おのずと次のステップ「ディレクター」は見えてくるでしょう。その時にはもはやデザインを起こすことは自分でなくてもディレクションすれば済む話で、その原点にあるのが実は一見落書きのような手書きラフにある、僕はそう思います。だから僕は自分の仕事の校了になったデザインとラフを見比べたりするのは結構好きだったりします。そこには感じたもの、考えたものが無垢の姿で存在し、デザインされるのを待っているのです。

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