デザインで伝えるという快感。

なぜデザインをするのだろう?

 

この問いに対する答えである程度その人がどのレベルのデザイナーかはおおよそ検討がつくように思います。僕自身キャリア3年目くらいの頃、こう問われてろくな答えを言えなかったもので、それ自体は特に何か意味があるわけでもないし決して恥ずかしいことでもないと思いますが、クリエイティブの水準が上がることとその人の精神性や思考力は密接に関係があるため、そこでどんな言葉を選び、どんなニュアンスで話すかでそういった部分が開けっぴろげにバレてしまうというわけです。そして、デザインのクオリティもそうですが、どんな種類の仕事に取り組んだとしても、得意/不得意ややったことある/やったことないといったことには意外と左右されなくて、結局のところその人の持っているレベル以上のものは出来ないし、逆に大して労力がかかっていなくてもその人のレベル以下のものにもならないものです。そして知らない人であっても同じようなレベルの人は共通して同じようなものを持っていたりするもので、このあたりは本当に不思議ですが、つまりそれが「実力」ということになるのでしょう。

 
とは言え、そういったものは抜きにしても、デザインはとてもおもしろいものだと思います。毎日デザインの仕事をしていると当たり前過ぎて時々忘れそうになりますが、たった1枚のチラシやポスターの仕事だったとしても、今そこに欲しいものがないから僕のところに依頼が来て、そして僕がデザインしたからこそそこにデザインがある、それ自体が単純にとても気持ちよいものなのです。とてもプリミティブな意味でものを生み出すということがいかに喜びに満ちているかということですが、それだけではなくて、僕がデザインしたことで何がどんな感じで伝わるか、それを現場などで実感する時は身震いするほど気持ち良くて、それがまた次の未知なるデザインを生み出すモチベーションにつながっていく。それを10年ほども繰り返していて、まだ全然飽きが来ないのだからやっぱりデザインはとんでもなく奥が深い、人生を懸けるに値するおもしろいものなのだと思うのです。

 

技術比べじゃない、とにかく感じたい!

 
大してビジョンもないままに会社を辞めて就職活動が面倒でフリーランスをしていたら、いつの間にか社長になっていて、あろうことか3人も雇用しているということが未だにピンと来ていない僕ですが、そういう立場になってしまったので、自分が作ったものではないものを見て、出来が良いか悪いかを判断して、悪い場合はどうしていくかを指示しなければならないということが、良いのか悪いのか日常となりました。デザインはそれ自体がとても難しく、順を追って勉強すれば必ず身に付くというものではないものの、逆に言えばどんなに未熟であっても、案件にどう取り組み、視覚的にどう伝えるか向き合った結果がデザインとなって現れるものなので、上がってきたデザインを見れば、日頃のデザインに対する姿勢がどんなもので、今回の案件に何をどう考えてこの結果にたどり着いたかまで瞬時にわかってしまいます。そして、出来れば、例え技術的に荒削りだったとしても、びんびん伝わってくるデザインを感じたいと切に思っています。

 
だから上がってきたデザインから「デザインが好きじゃないのかな?」「伝える気はあるのかな?」という方がむしろ伝わってきてしまうと実は本当にがっくりきます。そしてそれはそのまま出したらお客さんはそういうところ敏感なものなので、もっとがっくりくるでしょう(だから先回りしてそれを直させるのですが)。デザインをわかってるとかわかってないとかそんなものはどうでも良くて、感じるか感じないかがとても大事で、むしろそこがこの仕事の本質でおもしろいところなのに、それで感じさせないということは致命傷になりかねなかったりします(余談ですが、伝わるものが伝わるデザインなら技術的に荒くてもお客さんは笑って許してくれることは多いです)。技術は経験を積まないと身に付かないから仕方なくて、それよりも姿勢がとても大事だと思っていますが、その姿勢が大して良くなかった場合、たぶんこれからも何も身に付かないし変わらないでしょうね。僕自身がこれまで未熟さを思考力と気持ちとド根性で乗り切ってきたせいか、そういう人の気持ちは正直理解できないのかもしれません。でも、これだけは言えます。感じないと、きっと人生、つまらないよ?

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