直訳すれば、それは「方向」
「ディレクションって何だろう?」とは、恐らくかなり多くのグラフィックデザイナーの方が一度は疑問に思ったことがあるのではないでしょうか?すごく端的に言ってしまえば「打ち合わせ」ということになるように思います。お客さんと打ち合わせして案件が生まれ、デザイナーと打ち合わせしてデザインに発展して、今度はそれを持ってお客さんと打ち合わせ。それを繰り返せばやがていつかモノが完成するのだから、ディレクションをする人=ディレクターは「打ち合わせ」が上手く出来る人と言っても差し支えなさそうです。それだけだと「営業」と大差ない気もしますが、営業は売上に至るビジネス的な側面が強いのに対し、「ディレクター」はクリエイティブ面で責任を持つため、デザインについてきちんとした理解と幅広い経験が必要となります。
本やら何やらにはたいてい「ディレクション」って言ったらこういう感じで書いてありますし、実際その通りなので、direction=「方向」というのもあまり違和感はないのではないでしょうか?それでも「ディレクションって何だろう?」と感じるとしたら、それはどの辺にあるのかと言うと、実はそれは僕にもよくわかりません。校了に至るクオリティを担保するなら、完全にお客さんのYESマンでもそれはそれでディレクションですし、逆に当初お客さんの説明したオリエン内容とは全く異なるものを生み出すディレクターもいるでしょうし、デザイナーからしたらディレクターが方向付けしておきながら、すぐその方向が変わってしまうことなど日常茶飯事ですし、つまり、概念上はわりと理解しやすくても、実務レベルにおいては「ディレクション」というのは結構謎な行為だったりするのです。
デザインの持つソリューション性
時々僕は「答えのある仕事」をしている人がうらやましくなります。それはどんなに大変で面倒でややこしかったとしても、一つ一つ地道にこなしていけばいつかは終わるのが見えるからです。逆に言うとデザインを始めとするクリエイティブの仕事は基本的に答えがありません。実はきちんとした方法論もありません(もちろんレイアウト手法とか技術的なものはありますが)。全て自分で考えるしかなく、全て自分で編み出すしかなく、経験も自分でたぐい寄せていくしかありません。その意味では「クリエイティブにおける答えの出し方」を身に付ければ付けるほど、世間や一般常識からは外れていくように思います。そうでないと、世間や一般常識を身に付けた途方もなく多い方々と同じ答えしか出せなくなってしまうので、その道のプロ=専門職としてはイマイチだからです。
デザインというのは不思議なもので、例えばパッケージデザインの仕事があったとして、全く同じ商品を何人かのデザイナーにデザインさせたとします。デザインの仕事にもその案件における守らなければならないことはあるのですが、それでも全体としてはデザイナーによって全然違ったものが出てきます。それらを実際販売したらどうなるでしょうか?多分どれもが同じ売上とはならないはずで(その可能性もなくはないですが)、ビジネス的にはどれも同じ条件を満たしているはずなのに結果としてはだいぶ異なってしまう。まぁデザインの面白さもここにあるわけですが、そうなると大事なのは、お客さんの商品なのにお客さんにすらどうすれば良いか見えていない「デザインを導く力」ということになりはしないでしょうか?
そして、ディレクションとは
デザインがそういった存在である以上、ディレクションにはそこまで持っていく力が求められます。ディレクションが「校了に至る」という意味では、どんな形でも校了に至りさえすれば良いはずですが、それだけではない意味合いを感じるとしたら、お客さんやデザイナーやその他の関係者との「打ち合わせ」を積み重ねながら最適解を導き出すこと、これはちょっとやそっとではきっと出来ないですよね。そしてそこに無数の答えがあるからこそクオリティにも差があるし、世の中にはものすごく色々なタイプのディレクターがいて、デザイナーがいるというわけで、どこに合う案件、合うクライアントがいるとも知れず、今日もめぐり合いの可能性を信じて生きている。ディレクションの話をしていたはずがいつの間にかすり替わってきていますが、つまるところ、ディレクターもデザイナーも含めてクリエイターとはそういう人種なのかもしれません。